働き方改革もいよいよ本筋の議論に入ってきた。日経新聞は「コロナが変える働き方」のタイトルの下で特集を組み、7月8日には「ジョブ型雇用、職務明確に 成果で評価しやすく」、そして7月9日は「日本流のジョブ型雇用模索 解雇規制巡る議論浮上も」と題し2日連続で「ジョブ型雇用」の議論を開始した。既にこのコラムで書いてきたが、「組織を経営するうえで職務と結果としての成果に基づき処遇制度を設計するのは当然」のことである。しかし過去の成果主義が掛け声倒れに終わった背景に「職務の明確化」のための思想と手法が欠落していた。これからの議論でこの点にどの程度踏み込めるのかが大変興味深いものがある。
7月8日の記事では富士通の例が挙げられている。「国内の課長職約1万5000ポストを対象にジョブ型を開始。20年度中にジョブディスクリプション(職務規定書)を作成し終える予定」とのことである。後段で「職務規定書づくりは容易ではない」とし、職務内容の明確化のための要素と進め方の手順に触れている。しかし何故「課長職」からスタートするかの説明は無い。職務明確化は組織経営の基本であり、その組織は社長を全社のトップとしてその直下に部門長・グループ長など経営思想を反映した各機能のトップが、1万5000の課長職の上に位置付けられている。それらの組織長の職務を明確化することが、課長職の職務を明確化する大前提であり、これが「職務の明確化」の出発点である。部門長・グループ長の職務規定書は既にあり、それを基に課長職の職務規定書づくりが進められるのであれば、記事に書かれているような困難さは副次的なものとなる。
弊社の経験では、職務の明確化の最大の難関は社長直下の職務の明確化である。そこには技術的な問題以上に執行役員レベルの社員の意識の問題が絡んでくるからである。「ジョブ型雇用」を本格的に導入しようと思うのであれば、まさにこのレベルの意識の改革から進めるべきであり、過去の失敗の歴史はその思想の欠落が原因である。それが出来ないのなら、課長職だけにジョブ型を導入することは、再度、制度の失敗につながることを懸念するものである。社員は会社の本気度を理解している。形だけの導入のために多大な時間とエネルギーを割くのは無駄である。
7月9日の記事では、前半東芝の例が挙げられている。東芝は「日本的雇用慣行という土台を残したままジョブ型を導入しても効果が出にくいとの考えから、ジョブ型にまで踏み込んでいない」とのことで、人事評価制度を「組織の中で担う役割に応じて処遇を決める制度に改めた」とのことである。穏当な結論と思えるが、評価制度に用いる役割の定義も、上述のように社長直下から行っているかどうかが評価制度の成否のカギを握っている。
後半は生産性向上に焦点を当てた議論を展開し、「過去『成果主義』がもてはやされ、ジョブ型導入を試みる企業が出たが、日本型雇用の見直しにまで踏み込めず定着しなかった」ことに触れている。「生産性改善には、年次主義を脱しポストにふさわしい人材を配置し、成果に見合った報酬を支払う。ジョブ型を機能させる前提として、評価の透明化や管理者教育などが急務だ」という指摘はその通りだと思う。ただ「労働行政や司法にも変化を迫る」と書かれているが、「解雇規制」の議論の前にそれぞれの企業が組織経営の基本としての「職務の明確化」を本気で取り組むことが求められている。この点の議論なくして生産性の改善は無い。