今年2月12日付け日経新聞の「中外時評」に掲題の興味深い記事が出ている。いよいよ今年は日本型雇用の本格的な改革が始まると期待していた矢先だけに「おや?」と思われた方が多いのではないだろうか?中外時評の論点は「本来のジョブ型の導入を避け、日本型雇用の踏み込んだ改革にためらいが見られるのは、企業にとっての利点を守りたいからとも読める」と分析し、「経団連内部の保守的な声が思い切った改革に待ったをかけるのだろうか。日本の停滞を破るのは難しくなる」と結んでいる。
「日本型雇用の踏み込んだ改革にためらいが見られる」という指摘はその通りだと思う。「中外時評」では、経労委報告を引用しながら「企業の求めるスキルを明確にして雇用契約を結ぶジョブ型は、厳格な解雇規制が及ばないと考えられている」と強調し、日本型雇用の見直しを「解雇規制」との関係に絞り込んで「日本型雇用を見直すという経労委報告のメッセージは弱まった」と結論付けている。そうなのだろうか?
日本型雇用の改革の目的として挙げられているのは「企業の成長をけん引する人材の確保」である。どのような人材が企業の成長をけん引するかは、それぞれの企業の経営戦略とそれを支える人事戦略に基づくものである。世の中一般でAI人材が必要とされているからと言って、AI人材を取るために高額の報酬を設定し、かつ契約は「ジョブ型」と称し、いつでも解雇可能とすることが、「企業の成長をけん引する人材」を確保することにつながるとはとても思えない。そもそもAI人材とはどのような人材を指しているのか、彼らに対しどのような仕事を期待しているのか、彼らのモチベーションをどのように高めるのか等を決めるのが経営戦略であり、人事戦略である。多くの日本企業が有能な人材を確保(採用だけではなく、長期的に貢献し続けてくれること)出来ていない理由は、企業の人事の基本的な考え方が欠落していたことにあるのではないか。
2018年政府主導で「働き方改革関連法案」が成立し、この4月からは「同一労働同一賃金ルール」が施行される。同じ日経新聞3月9日付け記事に「仕事と対価に入念な点検」と題し「4月から始まる正規と非正規の従業員の間で不合理な格差を禁じる同一労働同一賃金ルールの施行前に大企業が対応に追われている」との解説が出ている。今の段階での対象はあくまでも「正規と非正規の従業員の間」と限定されているが、「仕事と対価」という考え方を問い詰めていけば、正規の社員の「仕事と対価」という問題を考えざるを得ない。これは人事の基本的な在り方、経営のあるべき姿に関わる問題を突きつけられることを意味する。
グローバルな世界での人事の基本的な考え方は、「仕事」が出発点である。どのような仕事をするかが処遇決定の前提条件であり、対外的競争力判定の基準となる。人事の仕事は年次管理や年功的な運用の踏襲ではなく、「仕事」の定義作りが出発点となる。この転換こそが「日本的雇用の改革」の本質である。
「仕事」の定義に基づく報酬・処遇という視点から日本企業の処遇条件を見ると、現在の年功に基づく処遇条件とは全く別の姿が見えてくる。典型的には管理職の処遇条件が全く仕事の内容とは乖離していることが分かるはずだ。みのりの様々な企業の調査結果もそれを裏付けている。「仕事と対価」の点検の中で「職務内容のチェック」と事業主としての「説明義務」を果たそうとすれば、その待遇差が何に由来するかを考えざるを得ない。これは正規・非正規の枠を超えて、人事制度全体を考え直す契機となると考えられる。
既に多くの人事関係者がその重要性に気が付き始めている。日本的雇用の中で昇進を続けてきた多くの経営者は、「仕事と対価」という考え方には馴染みがないが、経営者自らが自身の仕事がその対価に見合うものかどうか考えるべき時が来ているのである。ある特定の職務だけについて「ジョブ型」を適用して別扱いにするのではなく、経営者自らが「ジョブ型」として率先垂範することが求められている。その覚悟があるか?中外時評の「日本型雇用の踏み込んだ改革にためらいが見られるのは『企業にとっての利点』を守りたいから」ではなく、「『企業の経営者にとっての利点』を守りたいから」と読めるが、如何であろうか?