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執筆者の写真秋山 健一郎

同一労働同一賃金で指針


 

11月28日、日経新聞に掲題の記事が出ていた。「正社員の待遇下げ回避を」というサブタイトルである。内容としては厚生労働省の労働政策審議会で同一労働同一賃金の具体的なルールとなる指針を示し了承されたということで、その指針が示されていた。驚いたのは基本給の指針として「能力や経験などが同じなら正社員と同一を支給」となっていることである。「同一労働」が「能力や経験」を中心に書かれている。「同一労働」に関する指針であれば、仕事内容に言及があるべきである。それが「能力や経験」と書いて不自然さを感じていないところに、日本的経営慣行の根深さが表れていると思った。

記事によれば「厚生労働省は27日の労働政策審議会の部会で、『同一労働同一賃金』の具体的なルールとなる指針を示し、了承された。基本給や賞与、福利厚生などについて不合理とされる待遇差を例示。正規社員の待遇を引き下げて格差を解消することは『望ましくない』とした」とある。ところが改めて厚生労働省のサイトでこの発表の内容を確認したが、上記のような同一労働を「能力や経験」に置き換えた記述は見当たらなかった。「省令案・指針案」の中には「5.短時間・有期雇用労働者および派遣労働者に対する不合理な待遇の禁止等に関する指針案」の中に「不合理な待遇の相違解消等を行うに当たって、基本的に、労使で合意することなく通常の労働者の待遇を引き下げることは望ましい対応とは言えない」とある。しかしその根拠となる「同一労働同一賃金ガイドライン案」には「基本給が職務に応じて支払うもの、職業能力に応じて支払うもの、勤続に応じて支払うものなど、その趣旨・性格が様々である現実を認めたうえで、それぞれの趣旨・性格に照らして、実態に違いがなければ同一の、違いがあれば違いに応じた支給を求める」とあり、更にその補記に「なお、基本給や各種手当といった賃金に差がある場合において、その要因として賃金決定基準・ルールの違いがあるときは、・・・・職務内容、職務内容・配置の変更範囲、その他の事情の客観的・具体的な実態に照らして、不合理なものであってはならない」と書かれている。

以上の記述の中には「職務」という言葉がまず明記されている。日経新聞の記事には基本給の指針を「能力や経験などが同じなら正社員と同一を支給」と職務という記述が省かれている。特段の意図があったとは思えないが、少なくともこのような書き方に抵抗感がなかったことは想像がつく。ここに日本的経営の「能力主義」が染みついている現実が見えてくる。「能力」を否定するつもりはないが、同一労働を考える出発点としてはあくまでも「職務」が先である。その上でその職務を遂行する上での「能力」が付いてくるのが、組織経営の本来の姿であろう。

同じ日経新聞の11月10日付け「平成の30年」という特集の中で「雇用慣行に相違 国際経営で出遅れ」サブタイトルに「気が付けば後進国」というショッキングな記事が出ていた。先進国だと思っていた日本が実は後進国になりつつあるという。「日本的雇用慣行は高度経済成長期の企業活動を支えた。だが平成になって企業が世界に活躍の舞台を広げると、日本独自のシステムは世界の就労スタイルになじまず、むしろ足かせになっている。現地での優秀な外国人材の確保に苦戦し、グローバル人事施策の転換を求められている」と。

このような指摘は1990年代に日本が低成長期に入った時から既に20年以上に渡り言われて来たことである。「現地採用の仕組みは整えた。だけど一番の悩みは育てるに値する優秀な人材が現地法人にいない」と、海外進出に積極的な企業の人事担当者の声として紹介されている。「優秀な人材」とは一体何なのか?そのような人事担当者のいる企業の本社に、優秀な人材があふれているとは思えない。社員を採用していながら、その社員が優秀でないと言い切る人事担当者の頭には、優秀な人材に育てられない反省がない。仕事の定義のない「能力」があり、「能力」のある社員がいれば業績が上がるという錯覚が日本企業に蔓延しているようでは日本的雇用慣行の転換はまだまだ先となることが危惧される。

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