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次世代の人材育成と教育 -人材育成の現状と課題-

執筆者の写真: 秋山 健一郎秋山 健一郎

 

先日、企業経営ネットワーク ビズテリア主催で掲題テーマの意見交換会が行われました。趣旨は「企業における人材育成の現状と課題を明らかにしたうえで、学校教育を含めた教育制度全体の在り方」を議論するもので、元文部科学副大臣も参加されておられました。学校教育は専門ではありませんが、企業における人材育成については触れておきたい点がありましたので、10分間ほど発表させて頂きました。ここではその内容をご紹介させて頂きます。

企業の人材育成に関しては常々基本的な問題点があると感じていましたので、冒頭それを指摘させて頂きました。バブル崩壊後既に30年が経とうとしていますが、その間企業は人材育成を重視し投資してきたことは間違いないことだと思います。しかし結果として現在の日本の、あるいは日本企業の世界における位置づけに大きな変化は見られていないのが現実です。その例として日本の労働生産性の低迷、ユニコーンの日本における見劣りを上げさせて頂きました。さらにデービッド・アトキンソン氏の東洋経済オンラインの記事から「日本に求められているのは、働き方改革ではなく経営者改革だ」という言葉を引用させて頂きました。とても30年間の人材育成が功を奏しているとは言い難い状況です。しかしながら相変わらず企業の人材育成投資は、同じやり方で続いていると言えます。なぜこのような状況が続いているのでしょうか?

人材育成の問題点として次の3点を指摘させて頂きました。第1点目はどこにでも通用する「人材」という一般的定義はないということです。「人材」とは、それぞれの企業が目指すものにより形作られるものであって、その根幹にある企業の目指す姿なくして「人材」の定義はできません。「グローバル人材」という言葉も、それぞれの企業がグローバル市場でどのような成果を社員に期待するかが明確に定義されていなければ意味がありません。英語だけができる社員が「グローバル人材」ではありません。SPIのようなテストで基礎学力や適性を測定することは可能かもしれませんが、高得点を得て入社した社員が、その企業の「人材」として活躍しているかどうかの検証結果を知りたいところです。そもそも企業としての社員に期待する役割・仕事の定義が無ければ検証も不可能ということになります。

第2点目は上記のような状況にもかかわらず、「人材育成」そのものが目的化していることです。本来「人材育成」には目的があるはずです。その目的は達成されているのでしょうか?日本の労働生産性がこの20年間低下傾向にあるにも拘らず、同じ育成投資が継続されているとすれば、その効果はどのようなところに現れているのでしょうか?人材育成を担当する部署の役割・仕事に検証可能な定義がなされていないとも言えます。

第3点目は人材育成に関する経営者の役割です。人材定義の基盤としての経営戦略・組織構造そしてそれに基づく社員の役割・仕事を明示するのが経営者の役割です。生産性向上・イノベーションは社員が勝手に生み出すものではなく、経営者が方向付けし、動機付けをして初めて結果が出てくるものです。その基盤を作り上げる努力なしに、人材育成はないと言えます。デービッド・アトキンソン氏の次の指摘が大変興味深い。「1990年代からGDPを成長させるために生産性の向上が不可欠だったにも関わらず、日本の無能な経営者たちは付加価値の向上には目もくれず、高品質・低価格という妄言の下で価格破壊に走りました」。某社のV字回復を果たされた元社長からお聞きした次のような話を思い出しました。「副社長だった時にびっしり詰まったスケジュール表の予定をこなすのが仕事だと思っていた。しかしその間に業績はどんどん悪くなっていった。経営者というのは単に経営者になったから偉いのではなく、経営者としての結果を出して初めてその存在が認められるものである。」

現在の多くの経営者は過去20~30年間の育成の結果選抜された方々だと言えます。戦後の発展期における企業の人材育成には意味があったと思いますし、事実素晴らしい経営者が数多くいました。しかしバブル崩壊後の30年間大きく環境が変化し、求められる経営者像も変わりました。人材育成についても基本から考え直す時期に来ていると思います。過去の延長線上にある「人材育成」を目的化せず、再度足元から見直すことが求められていると思います。

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