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執筆者の写真齋藤 英子

裁量労働制の拡大には、一人ひとりの仕事の明確化が必須


 

厚生労働省が労働規制緩和の一環として、働く時間を労働者が柔軟に設定できる「裁量労働制」を拡大する方針を固めた(2013年9月27日 日本経済新聞朝刊1面)とのことである。働く時間を自分で決められるのは、自律的に働く社員にとっては、願ってもない話である。

また、対象業務も、これまでの仕組みを見直して、企業ごとに労使で決められるようにする。例えば、「個別の営業活動」はこれまで対象外であったが、顧客の需要調査や分析もする営業担当者は営業企画として対象に含められるようにするとのことである。しかし、ここまで読んでくると、まさに「不安」の文字が頭を駆け巡ってくる。

日本型人事制度では役割や仕事の中身を曖昧にしておくことで、どのような仕事や配置にでも対応できるような仕組みとなっている。この制度を基盤としたうえで、「営業」を「営業企画」と言い換えたところで、これまでと同じ基準で人事考課され、いわゆる能力を測定されるのでは、単に時間の枠が外されただけになってしまう。そこで懸念されているのが、際限のない長時間労働であり、社員の疲弊である。

せっかく国を挙げて、自分の労働時間を自分で決める自律的な社員の活躍を推し進めてゆくのである。それを成功に導くためには何が必要か?

まずは、何がこの仕事に期待されているのかをきちんと設定することである。そしてある期間内にどこまでやれば、その期待に応えたと言えるのかがきちんと評価され、それがその仕事に見合った報酬にきちんと反映される、そのような仕組みが必要である。

日経新聞でも、「労働時間の多寡にかかわらず、成果を上げた人を評価する仕組みが必要になっている」(同上、5面)と伝えている。まったく、その通りであり、ここでの重要なポイントは、その「成果」とは何か?ということである。これまで成果主義人事制度は失敗であったと言われているが、その大きな原因は、「成果」をきちんと定義できていないことであった。そもそも、仕事を通して何を貢献してほしいのかを明確にしていない日本型人事制度で、いきなり「成果」に対して報いると言っても、それが何を指しているのか。結局は、成果とは売上高のような数値ばかりになってしまった企業が多い。つまり、本来成果主義とは言えないものを成果主義と呼んで導入したことが問題なのである。

各々の仕事に基づく「成果」とは何か?これこそまさに、先ほど述べた、「その仕事に期待されていること」である。それをきちんと定義することこそ、裁量労働制が単に時間の枠を取り外して社員を疲弊させる方向ではなく、真に自律的社員の活躍を促す方向に機能してゆくための基盤であり、今、日本企業に求められていると言えるのではないだろうか。


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