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【第9回】ダイバーシティーの視点から見たコミュニケーション

執筆者の写真: 秋山 健一郎秋山 健一郎

 

コミュニケーションとは「社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと」と定義されている(大辞泉)。その手段として言葉が大変重要である。しかしそれが全てではない。重要なのは意思、感情、思考を伝えることである。管理職の方に気付きの機会としてやっていただくゲームがある。同じ言葉・表現方法を示し、その意味するところを書いていただく。いくつかの特定のグループに分け(男女、年齢、国籍等など)、それぞれの結果を比べてみると大変興味深い結果が見られる。同じ言葉・表現方法でありながら、その意味するところ・理解の仕方が大きく異なる。

「どう思いますか」という簡単な表現でも、受け取りかたは様々である。重要な議論の場で、ある程度時間が経った後上司が部下に向かって「どう思いますか?」と問いかける。部下がその議論の出発点に戻り意見を言い出すと、上司は苛立つ。「いまさら議論を蒸し返すな。結論はイエスなのかノーなのかはっきりしろ!」。部下はその問いかけを「やっと議論を促された。持論を展開するチャンスだ」と考えたかも知れない。

言葉だけでなく身振りの解釈にもそれは現れる。『頷く』と言う日常良くある表現方法。この理解も受け取り手により大きく異なる。例えばあるグループはそれを『受諾』と解釈し、別なグループは単なる『聞いている』と言う合図にしか解釈しない。この場合コミュニケーションは成立するであろうか?例えば上司が部下に情報を伝え、ある指示を出し部下がそれに対し頷く。上司はその指示が受諾されたと理解し、部下は単に聞いていますという意思表示をしただけだという場合がある。指示が明確に伝わっていれば、問題はそのやり方あるいは結果に関しての議論に進む。しかし出発点で伝達が確認されないまま進んでいくと誤解は、不信に繋がっていく。管理職は「あいつは指示してもやらない」と思い、部下は「あの上司は指示が明確に出せない」と思う。

このような解釈のずれはいたるところに見られる。面白い例は「良いリーダーとはどのようなリーダーか?」「あなたにとって成功とは何か?」などなど。当たり前と思っている言葉が、全く違う解釈に遭遇する。特に同質の組織の中で長年生活していると、このような解釈は同じで当然だと思い込んでしまう。しかし人がそれぞれ違うように、これらの表現の解釈は千差万別だ。多様性を活かす視点からのコミュニケーションとは、単に伝達のための手法を身に着けることではなく、言葉・表現方法に違いがあることを認識するところから出発する。

言葉・表現方法に『違い』があると認識していれば、意思が伝わったかどうか確認することがまず必要である。上司は「頷いているが、この指示の内容でやってもらえますね?」と確認する必要がある。もし部下が受諾の意思があるなら「分かりました、やります。」と応えるであろうし、そうでなければ「言っている意味は分かりますが、やるに当たってはこのような条件が必要で、それを検討して欲しい」(これほど明示的でなくても、問題を感じさせる表現はいくらでもある)など、指示を実行に移す上での問題点等の議論に展開する。どのような条件が必要で、それがクリアできれば本当に出来るかどうかなど。このような議論の展開は、単に指示通り実行するより有効且つ有意義な対応方法へと繋がる可能性を秘めている。

また聞く立場にある場合は、常に解釈には違いがあることを意識して聞くことが必要である。部下が会議で発言を始めたときに、「いまさら議論を蒸し返すな」と怒る前に、その部下が何故その議論を始めたのかを考える。自分の問いかけ方が違っていたのかもしれない。あるいはその議論の理解の仕方が、違っている可能性もある。解釈に違いがあるということを理解することは、その違いを認めることであり、それを受け入れることでもある。コミュニケーションは単に一方的にこちらの意思を押し付けることではなく『伝達し合うことである』。

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