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「ジョブ型」論議の迷走―人事専門家の議論に欠けている視点―




2026/3/6付 日本経済新聞に掲載された濱口桂一郎氏の論考「ジョブ型雇用の現在地(上)制度の土台は日本型のまま」を興味深く読んだ。本稿は、日本で流行する「ジョブ型」という言葉そのものが奇妙であるという指摘から議論を始めている。

世界では雇用・人事・賃金はいずれも職務に基づくのが大前提であり、あえて「ジョブ型」と呼ぶ必要はない。むしろ日本の雇用慣行こそ特殊であり、それを筆者は「メンバーシップ型」と名付けたという。

 

この指摘の一部には確かに納得できる点がある。企業という組織は何らかの目的を達成するために存在し、そのために必要な職務の集合として構成される。したがって職務を基準に人事や賃金が設計されること自体は、企業組織として当然であり自然なことである。

しかし、問題はその後の議論の展開である。筆者は日本企業の雇用慣行を「メンバーシップ型」という特殊な企業のあり方として位置づけているが、この説明にはやや疑問を感じる。企業という組織の本質が国によって大きく異なるとは考えにくい。企業はどこであっても価値を創出するための組織であり、その目的を実現するために職務が設計され、そこに適した人材が配置される機能体として存在している。違いがあるとすれば、それは企業の「あり方」そのものではなく、「その運営の仕方」にあるはずである。

 

日本企業が長く終身雇用や年功的処遇を採用してきたのは、職務が存在しなかったからではない。企業が長期的に価値を生み出し続ける存在であることを目指して、どのような組織・職務が必要か、そしてその職務を遂行する/できる社員はどのような人材かを試行錯誤しつつ形作ってきたのである。新卒一括採用によって人材を受け入れ、社内で配置転換を行いながら能力を高めていく。こうした仕組みは、外部労働市場から即戦力を調達する方式とは異なるが、企業が長期的に存続するための組織運営として一定の合理性を持っていた。現在の問題は、企業の目的、職務設計、そしてそれを担う人材像という本来一体で考えられるべき問題が議論されないまま、「ジョブ型」という言葉だけが独り歩きしていることにある。

 

近年の「ジョブ型」議論の多くは、職務記述書、職務等級制度、職務給といった制度の形式に焦点を当てている。しかし本来、職務とは単なる作業の切り分けではない。企業が何を目指し、その目的を実現するためにどのような役割が必要なのかという経営上の判断に基づいて設計されるものである。そしてそこに配置される人材像はその職務を出発点として考え抜かれてきたのである。本来の順序は次のようになるはずである。

 

企業の目的・戦略

組織設計

職務設計

求められる人材像

人事制度

 

ところが現在の議論では、この順序がしばしば逆転している。企業の目的や組織設計の議論を抜きにして、人事制度の形だけを「ジョブ型」に近づけようとする動きが広がっている。その結果、雇用の枠組みは従来のままにして、人事制度の一部だけを変更する「ジョブ型風」の改革が数多く語られることになる。

しかし残念ながら、このような議論を主導しているのは、いわゆる人事の専門家と呼ばれる人々である。彼らの議論の多くは制度論に終始し、企業が何を目指しているのか、その目的を実現するためにどのような職務を設計すべきなのかという本質的な問いに踏み込んでいるとは言い難い。

 

その結果、「ジョブ型」という言葉があたかも新しい制度や処方箋であるかのように語られ、企業の実態とは必ずしも結びつかない議論が広がっている。もし日本の人事議論がこのような方向に進むのであれば、それは残念ながら企業経営の実態から離れた観念的な議論にとどまってしまうだろう。

本来問われるべきなのは、ジョブ型かメンバーシップ型かという分類ではない。企業が何を目指し、その目的を実現するためにどのような職務を設計するのかという、組織運営の根本に関わる問題である。

日本の人事をめぐる議論が、制度の名称や形式をめぐる議論に終わるのではなく、企業の目的と組織のあり方という原点に立ち返ることを期待したい。

 
 
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