10月26日付け日経新聞の「大機小機」に「40歳定年制に賛成」というコラムが出ていた。安倍首相の「生涯現役社会」に向けた政策の検討が始まったのに併せ「定年年齢の70歳への引き上げといった安易な選択がなされること」への懸念表明である。「企業のビジネスモデルは著しく不安定化したから、学卒後40年の雇用保障は極めて厳しい。企業収益が史上最高でも賃金がさっぱり上がらない背景には、この日本的雇用に特有の負担の重さがあるのだと思う。70歳定年にすれば、事態はさらに悪化するに違いない。」という。
その上での「40歳定年制を真剣に検討すべきではないか」という提言である。「新しい働き方は職務を明確に定めたジョブ型になるだろう」という見通しには大賛成である。「筆者は従来、日本的雇用の限界を指摘してジョブ型雇用への転換を訴えてきた」というのも心強い限りである。ただそれを推進するために「40歳定年制」が必要かどうかは疑問である。
70歳定年制にしても40歳定年制にしても基準は年齢である。なぜ年齢を基準に線を引くのだろうか?筆者が指摘しているように「ジョブ型の雇用ならば欧米のように定年自体が不要になる」。新しい働き方としての職務を明確に定めたジョブ型になるのであれば、年齢で社員を分ける必要はない。その仕事ができるかどうかだけが判断の基準となるのが、ジョブ型雇用の基本である。「20歳前後までに得た知識・能力だけで、その後の50年を生きていくというのは図々しすぎる」と書かれているが、会社の仕組みがジョブ型に基づいた処遇制度であれば全く問題はない。熟練度が上がり同じ仕事を効率よくこなしてくれている限り、何歳までも会社に貢献してくれればよいはずである。それを「図々しすぎる」と表現しているのは、処遇が年齢とともに上がっていくことを前提としているからである。
仕事がジョブ型にならない理由は社員ではなく、会社にある。40歳で退職した社員が再教育を受けて第2の職場に行くとしても、新しい職務がジョブ型である保証はない。多くの人事専門家はこの前後関係を誤解している。まず会社の仕事の在り方を変えない限り、日本的雇用は変わらない。日本の教育問題にも触れているが、問題は大学の教育ではない。経営に携わる人間が仕事をジョブ型に変える教育が必要である。会社がジョブ型に仕事を変えられれば、社員は年齢にかかわらずジョブに基づいた仕事の進め方を身に着け、筆者が期待するような働き方に変わっていく。そして、そのためにまず取り組まなければならないのは、職務の明確な定義づけである。