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  • 執筆者の写真秋山 健一郎

生産性向上を支える人事制度


 

日経新聞の5月1日からの一面の特集記事「生産性考」には興味深い指摘が沢山あり、大変参考になる。初回のキャスター社の例では社員の95%が自宅で働いているとのこと。また国内の男性就業者の平均通勤時間がドイツ・フランス並みになるだけで、120万人の労働力に匹敵する時間が生み出されるという。単に労働時間だけではなく、事務所以外での労働の効果は様々な視点から生産性向上に大きく寄与すると考えられる。

労働生産性とは単位労働時間当たりのアウトプットで測定される。投入される労働時間にばかり焦点が当てられるが、本当に重要なのはアウトプットである。アウトプットとは有形・無形を問わず企業として顧客に提供する製品・サービスであり、それを顧客に提供しているのは一人ひとりの社員である。大規模な企業であれば一人の社員がすべての製品・サービスを提供するわけにはいかないが、分業体制の中でそれぞれの社員が何をアウトプットとするか理解していない限り、顧客が望む製品・サービスは提供できない。組織というのは多くの社員が効率的に協働関係を築くために構築されている。95%の社員が自宅で働けるのは、それらの社員一人ひとりが何をアウトプットとして生み出せばよいか理解しているからであろう。組織の規模が大きくなればなるほど、様々な仕事の「アウトプット」が何であるかの理解は重要となってくる。逆にその理解が不徹底な組織では生産性を議論すべき土台が欠落していると言える。残念ながら多くの日本企業では、一人ひとりの社員のアウトプットを明確に定義し理解させるという経営意識は希薄である。その象徴が「能力に基づく人事制度」である。

企業の基本的な使命は、顧客が求める製品・サービスを提供することであり、それをより効果的・効率的に提供するために存在するのが組織である。その組織の構成員たる社員は、直接間接を問わず、その組織の提供する製品・サービスを提供することに寄与・貢献するために採用・配置されている。採用・配置のための基準は「能力」であることが多いが、評価・処遇はあくまでもその組織への寄与・貢献に基づくのが原則である。処遇の原資が提供された製品・サービスへの対価であることを考えれば当然のことである。ただし上述したように、大規模な組織では分業体制となっているため、一人ひとりの社員が何をアウトプットとするか明確に定義することが求められる。この定義を提供するのは経営者の責任である。企業の使命としてどのような製品・サービスを提供するか、そしてそれをどのような分業体制で提供するかを定義づけし、社員に明示しかつその結果責任を負うのが経営者である。

日経新聞の「生産性考」の第3稿に事業再編に関する次のような厳しいコメントが書かれている。「雇用を盾に再編を進めないのは経営者の言い訳に映る」「雇用維持を優先するあまり自社で事業を抱え続けた結果、生産性や競争力が低下し、中期的には雇用を確保できなくなるという誤謬。いつまでも繰り返すわけにはいかない」。経営者には経営者の責任がある。同時に社員には社員としての責任がある。能力があるからというだけで企業が存続するわけではない。その時々求められるアウトプットを出し、それが評価され存続するのである。一人ひとりの社員についても同じことが言える。それを体現するのが「人事制度」である。そろそろ日本企業も「役割・仕事に基づく人事制度」を導入する時期に来ている。社員の評価はアウトプットをベースとして、管理職が「近くで働き振りを見ていないと社員を評価できない」という情けない状況から脱するべきだ。そうすれば働き方改革などは必然的に後から付いてくるであろう。

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