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  • 執筆者の写真齋藤 英子

ホワイトカラー・エグゼンプション議論に欠けていること


 

5月29日付の日本経済新聞朝刊の第一面に、政府が5月28日産業競争力会議において、専門職を中心に週40時間を基本とする労働時間規制を外す方針を決めたとの報道が載った。この目的は、労働時間制度の新たな選択肢を示すこととなっている。そして、そのために、働いた時間ではなく成果に給与を払う、「ホワイトカラー・エグゼンプション」を導入するそうである。管理職以外も労働時間規制を外す「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入は、日本の雇用制度を見直す一歩となると新聞は報道している。

この「ホワイトカラー・エグゼンプション」では、「時間ではなく成果で評価する仕事」を対象とするとしている。しかし、これでは、現在の日本の多くの人事制度でできていないことを、これからは突然できるかのような想定がなされている。

このホワイトカラー・エグゼンプション議論に欠けているのは、現在の多くの日本企業の人事制度の在り方の直視と、管理職の定義の再考である。成果に給与を払うのであれば、仕事を明確にした人事制度への改革なしには、成果主義同様、ゆがんだ施策となってしまうことは必至である。そして、仕事を明確にしてゆくと、今の管理職の設定のおかしさが浮き彫りになってくるのである。ここをそのままにして、非管理職のところだけ新しい制度を導入するのであれば、残業代を無くして長時間労働を強いる制度と言われても仕方がない。

そもそも日本の人事制度は、仕事に基づく人事制度を導入済みの一部の企業を除けば、仕事を明確にすることを避けてきている。仕事が不明確なまま、成果主義なるものを入れて失敗したのが、成果主義人事制度の日本における歴史である。バブル崩壊後に多くの日本企業が導入した「成果主義」とは、いったい何だったのか?その内容をじっくりと見ると、唖然とする光景が広がっている。「成果」を単なる「数値」に置き換え、数字で測れるものだけ測って、数値結果主義に陥っている制度もあれば、これまでの年功制の基盤であった職能資格制度の単なる焼き直しで、各社員の仕事の中味は明確にしないまま、単に事業計画のブレークダウンの目標達成度がその社員の成果であるとする制度など。そして、これらの制度が結果的に数値ばかり追い求め、社員は疲弊し、「成果だけでは測れない仕事もある」などと言う発言を招くような事態を引き起こし、最終的には「成果主義は良くない」という、成果主義アレルギーを引き起こしたのである。

また、仕事を明確にすることによって、ホワイトカラー・エグゼンプションが現在の日本企業における管理職の定義に大きな変更を要請することになる可能性が高い。現在、企業の中には、管理職と言っても部下を管理していない管理職もいれば、非管理職と言っても、プロジェクトのリーダーで、その仕事の大きさを測定してみると、かなり大きな仕事であるということも多いのである。この仕事の大きさが大きい仕事をしている社員が、現在多くの企業で採用されている職能資格制度によると、課長代理等、管理職にはなれない資格等級にいることがある。この層こそが、現在のホワイトカラー・エグゼンプション議論の対象となるべき社員層であり、問題は職能資格制度なのである。労働時間制度ではないのである。

ホワイトカラー・エグゼンプションの議論には欠けているところがある。その欠けている部分、つまり、仕事を明確にした人事制度への改革無しでは、ホワイトカラー・エグゼンプションを入れても、成功の確率は限りなく小さいと言わざるを得ない。ホワイトカラー・エグゼンプションが、第2の成果主義のようなことにならないよう、政府がこの制度の導入を進めるのであれば、それと同時に、仕事の中味の明確化をセットにすることが、制度導入の成功のカギである。そして、その先には、真に残業代をもらうべき仕事と、時間ではなく仕事の大きさと成果に見合った給与をもらうべき仕事が明確に見え、日本の曖昧な管理職の定義も明確になるのである。このような方向であれば、「ホワイトカラー・エグゼンプション」は日本にとって、有意義な施策となることは間違いない。



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