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  • 執筆者の写真秋山 健一郎

「解雇規制緩和」は企業変革の障害


 

前回のコラム「規制改革会議『規制改革に関する答申』への疑問」で触れなかった解雇規制緩和に関して、少し遡って答申に盛り込まれなかった経緯も含め触れてみたい。

本年4月24日の日経新聞で「解雇規制緩和見送り」の大見出しのもとに、「政府の産業競争力会議が成熟産業から成長産業への人材移動を後押しする雇用制度改革の骨格を決めた」ことを大々的に報じている。また5月4日同新聞「第3の矢どこへ 点検成長戦略」にこの決定の解説が書かれている。「解雇規制の緩和は不人気政策のため立ち消えになった、・・・日本経済の競争力強化と言う本丸の議論にはたどりつかない」「解雇規制が人材の流動化を阻み新たな雇用機会を奪う負の側面からは目を背けた」と批判的な論調であった。

同じく日経新聞の4月14日「中外時評 歴史から考える解雇規制」に興味深い指摘がある。日本の社会が正社員に雇用保障をしてきた歴史を振り返り、「解雇をめぐる現在のルールは裁判所が押し付けたわけではなく、企業経営や雇用の実態に合わせて出来上がったもの」であり、「企業が問われるのは何でもやる正社員を都合よく使ってきた経営をどう変えていくかだ」「日本型の殻を破った新しい経営に企業は踏み出せるだろうか」と結んでいる。全く同感である。本質的な議論とは競争力強化のために何をなすべきかであり、解雇規制に関してはその背景にある社員との関係を含んだ経営の在り方そのものを総合的に捉えた議論が求められる。企業が成長産業に進出できていれば、雇用は創出され人材移動は必然的に行われていくであろう。現状解雇規制が企業経営にとって本当に足かせになっているのであろうか?

現行法の規制の中でも、必要な人員削減は現実的には行われている。そのやり方は様々で、その過程で問題を引き起こしているケースが多いのも事実である。しかし多くの場合問題は解雇規制ではない。人員削減とは企業側の都合であるが、結果としてそれは社員の退職を意味する。社員の退職は企業が生き物である以上、その新陳代謝として必然的に生じている。それが問題化するのは、社員との関係に問題があるからである。今まで都合良く使ってきた社員に対し、突然退職勧奨をするような行為に納得感がある訳がない。様々なケースを経験してきたが、社員の退職が問題なく行われるケースを見ると、上司から部下への日々の仕事を通じた説明・伝達が明確に行われている。特に業績の芳しくない社員に対してどのような指導をしてきたかが、退職勧奨などと言う場面で端的に表れる。問題となるケースは、部下が改善の必要性の指摘を全く受けていなかったケースなどである。

中外時評にある指摘のように、「日本型の殻を破った新しい経営に踏み出す」とは、華々しい新しい経営手法の導入を意味するのではなく、企業を代表する管理職一人ひとりが、部下一人ひとりに対して、求めるところを明確にし、仕事に基づく適確な評価を伝達してゆくところから始まる。「賃金は労働時間の対価」ではないと言われて久しいが、現実の職場では「残業のできない人は必要ない」「時短は迷惑」などと公言する管理職が多いのも事実である。このような状況下で、「創造性」とか「仕事の成果」などを新しい評価基準として採用することなどは不可能と思える。

解雇規制は企業経営や雇用の実態に合わせて出来上がるものであり、実態に合わせて変化すべきものである。しかし今の状況で解雇規制を緩和することは、逆に企業経営にとって新しい経営に踏み出す機会を失わせることになると思われる。現在の規制の中でも、新陳代謝が健全に行われている企業がある。それは上司と部下の関係が正常に機能している企業である。まず上司が企業の進むべき方向を理解しつつ、部下の仕事の成果を認識し、その評価を正確に伝えている。日本企業の多くはまずそのような上司・部下の関係を構築することが求められていると言える。

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